完全なる雌雄結合体は究極の繁殖様式

●「深海」と「深淵」と

雌の身体に雄が付着(寄生)する深海魚族であるチョウチンアンコウ類にも、一時付着型、任意寄生型、真正寄生型といったように区分があるとされる。一時付着型は、繁殖期に雄が雌の身体に歯で噛み付いて付着するのであって、組織的な結合はしない。任意寄生型は、べつに寄生しなくても雄は生きてゆけるのだが、いったん寄生したからには雌の身体に完全に癒合してしまう。真正寄生型になると、雌に寄生しないでは雄は生きてはゆけない。この型のミツクリエナガチョウチンアンコウの一例では、体長31.6cmの雌の身体に体長3.5~5.6cmの雄=8個体が寄生していたという。深海という暗黒世界で、単独生活者が確実に繁殖を実現するには、こういうかたちで雌が雄を近くにおいって置くほうが合理的なのだろう。けっして宿主(雌)だけが一方的に不利益を被っているわけではない。雌のほうも広大な暗黒の中で雄を捜し求める苦行をしなくてもよいのだから、相利共生であるとされる。

ミツクリエナガチョウチンアンコウの雄の口部は雌の身体組織と完全に癒合して、雄は雌の身体の肉質突起のような存在になる。雌の身体のどの部位に癒合するかは決まってはいないが、雄の方は生殖腺以外は退化してしまう。

私がつくづく思ったのは、青春の日々に異性の伴侶をついに獲得できなかったのは、結局のところ私には、この深海魚族、ミツクリエナガチョウチンアンコウのような、相手との完全なる癒合を強烈に追及しぬくだけの「熱さ」に欠けるところがあったからだろうということだ。私は人=女性が自己の「深淵」のなかで、何を求めて人=男を伴侶となしうるのかということについて、なにほどのことも認識してはいなかったのだ。恋人であったDさんは、私ではなくMくんを選んだ。Mくんは、鹿島花岡訴訟弁護団の長として歴史に残るよい仕事をなし、若くして亡くなった。私は、Mくんを支えたDさんの選択は正当であったと思った。次に恋人であったNさんは、大学卒業の数カ月前にキャンパスから去り、私とも再び会うこともなかった。Nさんは、滋賀県の有名な重症心身障害児の施設の指導員となったのだった。Nさんは、学生のときから障害児の家庭教師をし、障害児教育を熱く語る、そんな人であった。

大西巨人の「深淵」の解説を鎌田哲哉が書いている。そこで鎌田は、大西が敗戦直後(1946年8月)に書いた「籠れる冬は久しかりにし」という文章を紹介している。──けれども、「籠れる冬」は、ほんとうに去ったのか。あるいは仮りに「冬」は去ったにしても、「立春」の代わりに、実は「新しい別の冬」が、日本に忍び寄っているのではないか。あるいは仮りに「立春」は到来したにしても、その「冬」から「春」への移行は、そこでは何事も単なる政治的合言葉のみによっては済ませられぬはずの「深淵としての人間」の内部では、どのように行われたのか─行われようとしているのか。──

鎌田によれば、ニーチェは「怪物と戦う者は、自分もそのため怪物とならなように用心するがよい。そして、君が長く深淵を覗き込むならば、深淵もまた君を覗き込む」と語った(「善悪の彼岸」)というが、私はたとえ「怪物」となってもDさんやNさんの「深淵としての人間の内部」を覗き込むのでなければならなかった。そして「深淵」とは、ミツクリエナガチョウチンアンコウの雄と雌とが癒合して生きる「深海」への通路でもあるのだった。