「ぞっとした」地区委員の官僚主義

●軟体動物

2015年、国・厚労省は私たち生活保護受給者の生活扶助基準・冬季加算・住宅扶助費を引下げてきた。住宅扶助費については、私は娘の別居によって一人世帯となったこともあって、それまでの上限5万9800円から4万9000円にまで引下げられた。不動産屋からは「この家賃だと、ワンルームしかない」と言われたが、それすら独居老人には難しい現実が目の前にあった。2件だけ提示されたうちの1件のアパートに決め、引越し業者にも依頼し、転居の荷造りを始めたのだが、娘の初めての一人暮しへの心配も加えて、かなりの心労を感じていた。

この前夜、私はいつものよう一人、自宅アパートで食事をしていると手に握った箸が何度も手から床に滑り落ちた。食べ物が床に落ちたりもした。翌朝、支部会議に出かけるため靴をはこうとした瞬間、私の身体は右半部から軟体動物のように崩れ落ちた。私は電話機のある位置まで、身体の左半部を「いも虫」のように使って移動し、救急車を依頼した。脳内出血(左被殻)であった。

入院中のある日、契約日の決まっていたアパートについて、貸主側の不動産会社からキャンセルされた旨の連絡が私に入った。その時点でまだ居住していたアパートの退去の期日は既に過ぎており、「低額宿泊施設」という名の”タコ部屋”にでも入れられるのだろうかという不安が現実のことのように思えて、安眠もできない日々を過ごした。

●「批判してはいけない」

入院中のそんな出来事のあった前か後だったか、Sさんが見舞いに来てくれた。Sさんは、共産党の地区委員・N市委員会の副委員長であり、N市とT県の生活と健康を守る会の会長だった。2013年に福祉事務所へ生活保護申請に同行をお願いしたのも、このSさんだった。私は当時の自宅のベッドの上で「餓死か生活保護か」の選択を自らに迫る以前にも、福祉事務所に「こういう状況なので、生活保護を受けたい」という電話を掛けたが「持家だから、生活保護は受けられませんよ」という返答だった。私はインターネットで、地元で生活保護申請の同行で成果をあげている人を検索し、この人が共産党の元市会議員のSさんであることを知った。そして、共産党中央へのメールで『しんぶん赤旗』の購読を申し込んだ上で、Sさんに同行をお願いした。

入院当時、私はN市生活と健康を守る会の事務局長であり、共産党支部支部長だった。これは私が党活動に目覚しい成果を上げて、その地位に上ったということではまったくなくて、「茶坊主」のような従順さがSさんの気に入られてのことで、すべてSさんの一存で決まったことだった。地域の生活と健康を守る会や、N市共産党のSさんに割り当てられている「縄張り」のなかでは、Sさんはそういう権力を持っていた。

そして入院中の私のベッドの傍らで、Sさんは私に次のように述べた。       「地区委員を批判してはいけない。そんなことをするから、みなビックリしていた。」それにたいして、私は「これからはSさんに従いますので、よろしくお願いします。」この時から私は共産党組織に対して抱いた微妙な不信感を、ついに払拭できなかった。

●心持のうえで土下座

私が入院する少し前の、共産党支部支部会議で、次のようなやり取り(大意)が私とSさんとの間であった。                           Sさん「共産党が目指しているのは、憲法の全面実施であって、革命ではない。」  私「共産党の綱領は、社会主義共産主義を目指すと言っている。そのために生産手段の社会化、生産関係を変えることが必要だと言っている。」            Sさん「生産関係は関係ない、変える必要はない。」               私「それでは社会民主主義だ。」                        Sさん「社会民主主義でいい。」                        私「それは綱領が言うことと違う。」

これが「地区委員を批判してはいけない」ということの中身だ。私がこのとき残念に思ったのは、「意見の違い」にではない。私の言ったことは「共産党綱領」の主張そのままであって、個人的な意見などという類のものではない。「綱領」に明白に書いてあることまで地区委員という権力を盾に、自分の不勉強を恥じることもなく、自分の誤りを認めないNさんによって、共産党官僚主義に陥っていかざるを得ないその源泉を知ってしまったということだ。        

そして病院のベッドの傍らで、「Sさんに従います」と思わず心持のうえで土下座をしてしまった自分の有様を振り返って、しばらくの間はじくじたる気持ちが消えることがなかった。とくに共産党のN支部について言えば、一般の支部においては疎外感を抱きがちな状態に置かれた生活保護受給者である党員を中心に、私を支部長に指名してSさんが提案して設立したという経過がある。党員である生活保護受給者には、生活保護が人権であって国の義務であるという意識より、生活保護で「Sさんに助けられたこと」は即ち「Sさんの恩」との気持ちが強い。そして生活保護に関して福祉事務所とのやり取りについても、「私を通さずに勝手なことをするなら、もう助けない」とSさんから釘を刺されている。実際、「元市会議員、現市会議員の後見人、福祉事務所幹部ともツーカー」というSさんに、それこそ「そっぽ」を向かれしたら命取りになるという恐怖感がまとわりつく。Sさんに対して言葉のうえで「敗北宣言」をしてしまった私にもその恐怖があったといわけだ。しかし、脳内出血で倒れて入院という経験を通じて、私には「死への覚悟」らしきものが生まれつつあったらしい、よし、独居老人として孤独死してやろうじゃないか・・・というような。

●「批判することができる」

日本共産党規約」の第二章第五条の(六)では「党の会議で、党のいかなる組織や個人にたいしても批判することができる」と書いてある。共産党の「規約」は単に紙に書いてあるだけであって、共産党のN市のある部分(市委員会副委員長としての「縄張り」)おける実際の組織運営は「規約」の規定ではなく、Sさんの地区委員としての党内権力に従って実行されていた。そしてSさんのこうした官僚主義は、おそらく組織上部もある程度は認識していた上で、その「赤旗拡大・党員拡大」の成果に免じて目をつむってきたということだろう。しかし現代というのは、資本主義からの変革の過渡的な時代であることは間違いないと私は考えている。とすれば、「党内」権力であったSさんのような権力が、旧ソ連や中国や朝鮮民主主義人民共和国といった偽造社会主義国(スターリン主義権力)と同質の日本の「自治体や国の権力」の一部とならないとも限らないと考えたら、私は「ぞっとした」のだった。