大西巨人「深淵」にみる二つの「会」

●反体制・社会主義の試金石

大西巨人「深淵」のなかで麻田布満(あさだ・のぶみつ)は3回、記憶を失い、失踪している。1回目は1985年7月20日に埼玉県与野市から失踪し、同日、西海地方松浦県宝満市にあるエスプラネットホテルのバンガロー近くで、海水パンツだけで倒れているところを丹生持節(にふ・よしとも)・双葉子親子に保護され、1997年4月19日までのおよそ12年間を丹生方の海濱学舎で暮した。2回目は宝満市から突発的に行方不明となり、1997年4月20日に北海道釧路市郊外の道東総合病院西釧路分院で覚醒した。3回目は1999年6月30日にJR新幹線下り、東京発午前10時56分に乗車し、その日の夕方に宝満市の丹生双葉子に麻田からの「広島で途中下車し、そちらへの帰着は明7月1日になる」むねのファクスがあったが、そのまま失踪(おそらく記憶喪失)となった。

私はこの間に麻田布満の近辺で起きた二つの事件ー裁判にかかわる、二つの「会」の在り方から大衆運動・市民運動について示唆されるところがあった。一つは1985年7月、麻田の失踪5~6日前に大宮で起きた殺人事件-橋本勇二の冤罪・誤判事件にかかわる「橋本勇二さんの再審を求める有志の会」であり、一つは1996年5月13日に松浦県宝満市の宝満神社境内で起きた殺人事件ー被疑者として逮捕・起訴された野呂秀次の差戻し審にかかわる「冤罪・誤判に抗議し、公正な裁判を要求する市民の会」の、この二つの対照的な在り方である。

麻田の高校~大学院いらいの「心友」である崎村静雄は、「橋本勇二さんの再審を求める有志の会」の名称や運営の在りかたを含む由来について、次のように述べる。──イプセン作戯曲「民衆の敵」の幕切れで主人公の医師は「独り立つ者、最も強し」と断言するが、レーニンはそのような「一切か無か」という考えにニイチェ主義を看取して批判した。そのレーニンの精神を受けて、ブレヒトは「正しくても、一人では行くな」と強調した。レーニンなりブレヒトなりの尊重したのが、「連帯の重要性」であることは疑いない。──

伊藤秀美は麻田・崎村の高校~大学の同期生であり、橋本の担当弁護人でもある。伊藤弁護士は崎村の弁を継いで、次のように述べる。──「連帯」とは、断じて「恃衆」(衆をたのむこと)、「恃勢」(勢いをたのむこと)ではない。「正しくても、一人では行けない」者たちが手を握り合うのは「恃衆」「恃勢」でしかない。真の「連帯」とは、「正しいなら、一人でも行く」者たちが手を握り合うことだ。「連帯とは、ただちに恃衆・恃勢を指示する」というような生き方は、スターリン主義・似非マルクス主義であって、それは本源的な絶対主義・ファシズムと択ぶところが無い。──

野呂秀治は『臨海タイムズ』の社員記者。『臨海タイムズ』は宝満市で発行される地方新聞であり、社員3人はマルクス主義者を自称し、「日本人民党」に所属する。丹生持節は、この『臨海タイムズ』について次のような「道理の問題」で嫌悪する。──その記事・言論は、なまじいそれが「左翼・反体制」という仮象で現れるだけに、真正の左翼・反体制にとって最も有害である。とりわけ1980年代末~1990年代、その表層の「左翼・反体制」とその内実の「法螺ケ峠・体制順応」は有志の大顰蹙(ひんしゅく)に値する。──

宝満神社境内で起きた殺人事件について、『臨海タイムズ』の事件関係の社説・記事は初手から、検察当局・裁判所・国家権力の権威主義的・市民抑圧的・ファッショ的な属性部分一般を理由として、野呂秀次の無実・冤罪を見境無しに言い立て、市民を反司直・反権力へと煽っては来たのだが、もともと反国家権力・反マスコミ権力である丹生持節がどのように頭をひねっても、『臨海タイムズ』の首唱するような性格の出来事とは見定めない。丹生は、この宝満神社境内殺人事件に関する限りは、検察の起訴、裁判所の第一審判決有罪・控訴棄却に「国家権力の権威主義的・市民抑圧的・ファッショ的な色彩」を看取しないがゆえに、「冤罪・誤判に抗議し、公正な裁判を要求する市民の会」の動向については有害な妄挙と信じている。

『臨海タイムズ』主筆である杉森昌也および日本人民党員である主任弁護士・福井顕太郎の主導になるこの「市民運動」についての麻田の「確信的考察」は、以下のようなものとなる。──杉森の画策とは、「野呂が真犯人か否か、アリバイが真か偽かなどは結局のところどうでもいいのであり、この市民運動の盛り上がりを逃すことなく摑まえることだ」ということを意味するが、この種のパワーポリティックス的な画策は本体的には決して成功せず、現象的に成功しても、それは遅かれ早かれ崩壊する。この実例がスターリン体制下のソ連・東欧など「共産圏」の成り行きだ。この種の「徹頭徹尾反人間的・反政治的経営」は、真正の社会主義マルクス主義の試金石、「反体制の本道」の試金には耐え得ない。──