〔小説〕党費

 (1) 

西北支部委員で財政担当の池上尚子は長机を隔て座り、私の前に一枚の厚めの茶封筒をおいた。

「党費を申告して・・・」

私は眼鏡のつるを両手の指で顔面に押し付けながら、封筒にさらに目を近づけた。

「党費は収入の1パーセントね」

すでに党規約を読んでいたので、その「第十章 資金」のところで「第四十六条 党費は、実収入の一パーセントとする」となっているのは知ってはいた。ただ、生活保護の最低生活費の給付というものを「実収入」と言い切ってよいものかかどうか。私には直ちに判断することができなかった。私には収入が無いからこそ、生活保護受給者という立場に立たざるを得なくなったなったのだから。また、中学生の当時から登校に困難を覚えて以来、今も家にいることの多い、30歳になる娘と私は同居しており、娘と一つの世帯として生活保護を受給していたことから来るためらいもある。入党は私個人のことであり、支払うべき党費は私個人の負うべきものである。私の世帯に給付されている金額から、娘の最低生活費を差し引いた金額が私の党費の原資となるべきとかんがえることも出来るだろう。党は、そこのところをどう考えるのだろうか。

生活保護世帯なんだけど・・・」

生活保護でも収入があれば、1パーセントね」

池上尚子には、生活保護費は収入か否かという問題意識は皆無らしい。しかし、西北支部の財政担当支部委員がそういう判断を示すなら、今はそれに従うよりないだろうと私は考えた。

私は生活保護の受給者になる直前まで、夜8時から朝8時の勤務、1回8000円という賃金で週に4回から5回の頻度で警備員の仕事に就いていた。その時は、バスで五つの停留所の距離を自転車で1時間かけて通勤し、会社に申請した交通費は食費の補填に回した。それは父子家庭の父親として娘と二人、生き延びていくための知恵ではあったが、会社に対しては後ろめたいものを内に抱えることになる。生活保護で生きていくものとして、また共産党員として世間に顔出ししようとするものとして、暗いものを内に抱えた生き方はしたくないと考えていたのである。

「党費納入袋」と印刷された茶封筒には、横に1月から12月まで、そして6月と7月の間及び12月の欄の次に「一時金」という枠、縦には「納入日」「党費」「救援救済基金」「議員援助基金」「空白克服募金」「供託金基金」「民青募金」「恒常募金」「選挙募金」そして空白の枠が一つと「合計」欄があって、最後が「受領印」となっている。私は自分の黒色ボールペンで「党費」欄に「1100円」と記入した。これは私の世帯の生活保護の基準生活費11万3000円の「1パーセント」である。それならば、「救援救済基金」以下「選挙募金」までの項目はなんだろう。

「これも党費。それぞれ一口100円以上ね」

「これも党費」が一口100円掛ける7項目で700円、それに「収入の1パーセント」が1100円、合計1700円。党が、こういう資金の徴収の仕方をしてもいいものか・・・私は何となく胸がざわついた。