〔小説〕 党 費 (2)

(2)
まだ健在であった親の助けも受け、売れ残りの物件ではあったが分譲の共同住宅を手に入れて、私は武蔵野市のアパートからN市に転居してきた。私は医学書の出版社から仕事を請けて、一字何銭という校正の仕事をしていた。一年ほど後に、私は校正者になる以前の仕事の同僚の世話で、その妻の妹と結婚した。
すぐ長男が生まれ、それから4年後に娘が誕生した。妻は長男の出産のときに精神の異常を来たした。それ以来、毎月そして四季の変わり目ごとに妻の精神状態は服薬や入院を要するほど悪化した。社外校正者としての私に依頼される仕事の量と収入は月によってかなりの振幅があった。私はこの仕事を続けることを諦めてでも、収入を確実に増やす方途を考えなければならなかった。私は広告会社の営業職に転じたが、結果は私の望んだものとは真逆の方向に出た。
それは家庭崩壊の序曲ともなった。転職そして失職を繰り返した。消費者金融での借り入れも増えた。妻の精神状態は好転への期待を許さないものであった。私の親族は南へ何百キロ、妻の親族は北へ何百キロのところで生活しており、時機を得た助けは望めなかった。妻はあぶら汗を滲ませてうずくまっている。私は妻は「病気なんだ」と分かってはいても、家事も子どもの世話もしないことを叱る。世間から孤立したこの恐ろしい劇場で、何の咎も無い二人の子どもたちの心の痛みが伝わってくる。そういうことが十年以上も続いて、やがて私には病気の妻を抱えていくだけの甲斐性はないと観念した。私は妻と離婚する途を選び、父子家庭の父となった。

神という根源的なものとの交流ということより他に生きていけそうにはないと思った私が、キリスト教会を訪れたのはその頃であった。
ある日曜日、礼拝のなかで牧師は「献金について」説教した。牧師は「主にささげものをしなさいというのが聖書の勧めなのです」という言葉から話を始めた。イエス様の使徒パウロは信者は教会を支援するために収入の一部をとっておくべきであり、ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりに献金しなさいと言っている。だから献金は各々収入に応じて行うものであるが、その最低限として勧められているのは「十一献金」すなわち収入の十分の一である。その根拠は神の律法である、すなわち全てのイスラエル人が自分の稼いだものの10%を神殿にささげよという神の命令である。説教は「十一献金の勧めに従うならば、神はあなたがたを大いに祝福なさるのです」という言葉で閉じられ、牧師は祈祷に移った。
このとき私が知ったのは、教会の献金というものは「会費」とは異なる意義や権威を持つということだった。「会費」ならそれは人が何らかの思惑で決めるものであって、それに対して私は「高すぎる」など苦情を言うこともできる。しかし十一献金というのは神の命令であり律法なのである。根拠は示されている。それは神を信じる者の「法」以外の何物でもない。信じるならば、それを守るだろう。逆に言えばこれを守らなければ、神を信じると告白することは嘘をつくことになるであろう。あす親子三人が生きのびていくためには、警備員としての日給7500円(当時、私は酒類を扱う店舗の警備員として就業していた)から一円も欠ける事の容認しがたい私としては、あの説教を聴いたからにはもう正面を向いて教会の交わりに加わることができなくなったのである。

生活保護の受給に当たって、私は福祉事務所から住居の処分を条件として要求された。この3DKの住まいは私の唯一の財産であった。財産とはいっても入居以来、一度もリフォームすることができなかったから室内は荒廃しており、そのままの状態では売却も困難だった。ただ、この住まいのおかげで私たち親子が屋根と壁のあるところで暮らせたとは言える。数か月後に、ある不動産業者にこの住まいをそのままの状態で金1万円也で引き取ってもらい、私と娘は西北町の隣の井深町にアパートを探して転居した(当時、私と長男とはあることでいさかいを起し、大学を卒業すると同時に息子は家を出た。優秀な男子であったが、それいらい連絡を絶つこととなった)。所属の党支部も、日本共産党井深支部に転籍した。
ある日、N市の市民センターで党地区委員会主催の党員集会が行われ、私も参加していた。集会の半ばで休憩が告げられ、私は手洗いに小便をしに赴いた。手洗いは、地区委員会傘下の各支部所属の党員で混み合っていた。私のすぐ後から、党井深支部の副支部長と財政担当を兼ねている大須光夫が来て、左隣の便器の前に立った。大須は「おう」と言った。私は彼は私に何か用があるのだと察した。大須は小便をしながら、右手の親指と人差し指で丸をつくって「2000円、今ある?」と言った。共同便所で小便をしながら他ならない党費の請求をする大須に、私は何となく不愉快になった。半面、便所まで来て党費の請求をする根性は見上げたものという気持ちもあったのだが。私は「今、持ち合わせが無いから・・・」と答えた。

大須光夫は地元の高校を卒業して、隣のK市にある食品工場で定年まで勤務した。労働組合の活動家というわけではなかったが定年後に入党し、80歳近くになった今でも現役の党支部委員として活動している。理論的な話は全く出来ない。「あいつは、もう少し勉強せんと」というのが大方の意見である。しかし本人は「共産党員は俺のようにあるべき」と考えている節がある。大須は世間話以上の水準の話をすることがない。井深支部の新入党者歓迎の集いで十数人が集まったときに、私が生活保護費の削減の問題についてひとこと述べさせて欲しいと言うと、大須は「そういう難しい話は、他でやってくれ」と渋い顔をした。そのとき大須は集いの進行役をやっていた。大須は「年金改善の会」の支部長も兼ねているが、常々「年金改善の会は遊びが6割でやってるからよ」と、してやったりとばかりに吹聴している。こういう人物は現今の党の勢力拡大方策にはぴったりなのか、いわば「引っ張りだこ」であり、宣伝物には「党井深後援会長」「N市生活擁護会井深班長」としても名前を出している。
8月に生活保護費が削減された年の秋のことであった。10人ほどが出席した週1回の支部会議の後で、大須は部屋を出ようとした私を引き止めて「党費、もう少し増やせない?」と話しかけた。私は不意を突かれて、200円の増額、党費として月々合計2000円を受け入れてしまった。党支部事務所を出てから私の内に、怒りとも悲しみとも判別し難い感情が生まれていることに気づかざるを得なかった。党の在り方の指導を支部という場所で草の根から行うべき位置に立ちながら、そして本人は生活保護受給者ではないが貧困者団体を自称する「生活擁護会井深班長」でもありながら、生活保護費だけで生活し続けなければならない党員の実情を察することも出来ないのかという怒りもある。それ以上に、「党規約 第十章 資金」の「第四十六条 党費は、実収入の一パーセントとする」というのは何なのだ?という疑惑である。これは党の「法」ではなかったのか。キリスト教会で献金の根拠は「神の律法」と示された。党費の根拠は「党規約」と示されているのではないか。日本共産党は「法」即ち「規約」によって統治されるのではないのか。それとも、支部委員によって財政委員によって、すなわち人の思惑によってものごとが決められるのか─そうであるならば、「党規約」には何の意味もない。      【「〔小説〕党費」は継続するが、事情によってしばらく間を置くこととする。】