死の探究★日誌

幼いときから家庭や学校で教育されたりして、自分が現実の中に当て嵌まっていくのだが、現実の場面で正気であろうとする意識とは別のところに、漠として何ともとらえがたい自分のあることも否定できない。そういうものをユングなどは、「影」と言ったり「無意識の領域」と言ったりしたのかも知れない。それは日常の表面的なあり方が、何かの拍子に裂けて、人格の裂け目のようなところから思ってもみなかった自分として存在を垣間見せるものかもしれない。日常の人格と「影」のような人格とは、この人生においてピッタリと一致はしていないが、ある程度の統合された状態でさえあれば、はみだしたようなものを押さえつけおおせてこの人生の終幕までいけるのかもしれない。押さえつけたとしても、それはコンプレックス(観念連合)のようなものとして、存在を客観的にあらわすのだろう。あるいは、個人の夢や集団の神話としてあらわれたものなのだろう。それは、集合的・普遍的無意識といったようなもの、ユングのいう「元型」のようなことなのかもしれない。【2018年9月2日】